サークル漬けの大学生活を後悔した、たった1つの理由。
大学三年間、ほとんどをサークルに費やした。授業に出て、サークルに行って、バイトをして、たまに飲み会。振り返れば、悪くない時間だった。ただ、今は少し後悔している。
楽しかったかと聞かれれば、楽しかったと答える。充実していたとも思う。それでも、足りないものがあった。その正体を言葉にすると、「主体性」という一言になる。
この記事では、なぜそう感じるのかを、自分の経験から書いている。サークルを否定する話ではない。ただ、これから大学生活を送る人には、同じ後悔をしてほしくない。
サークルに捧げた三年間
三年の秋まで、よさこいのサークルに入っていた。週に何度も集まって、練習して、本番に出る。季節ごとに忙しさが変わるが、年間を通して予定が埋まっていた。
そのうち二年間は、衣装をつくる担当だった。デザインを考え、配色を決め、業者とやり取りして形にする。作業量は多く、深夜まで作業することもあった。
大変だったが、楽しかった。自分たちで決めたものが形になる過程は、はっきりとした手応えがあった。あの感覚は、今でも覚えている。
主体性と自主性の違い
この二つの言葉は、似ているようで違う。主体性は、何をするか決まっていない状態から、自分で考えて動くこと。目的から自分で設定する。
自主性は、やるべきことが決まっている状態で、自分から進んで動くこと。言われなくても動く、という意味だ。土台は、すでに誰かが用意している。
この違いを意識するようになったのは、大学を出てからだ。それまでは、同じものだと思っていた。だから、自分の経験を過大に評価していた。
サークルで身につくのは自主性
サークルは、基本的に誰かが作った場所だ。目的があり、役割があり、年間の予定もある。新しく入った人は、その枠の中で動くことになる。
その中で、自分から考えて動く力は身につく。任された仕事を工夫する、段取りを改善する。これはこれで、価値のある力だ。
ただ、枠そのものを疑う経験は、なかなかできない。枠を壊す必要もないので、当然といえば当然だ。だから自主性は伸びるが、主体性は伸びにくい。
衣装担当だった二年間
衣装担当の仕事は、想像よりずっと自由だった。どんな色にするか、どんな形にするか、すべて自分たちで決められた。指示された通りに作る仕事ではなかった。
だから、当時は「ゼロから作っている」と思っていた。白い紙の前に座って、一から考えている感覚があった。それは、今でも本当だと思っている。
ただ、よく見ると、土台はいくつもあった。踊るサークルがあり、衣装担当という役割があり、協力してくれる業者がいた。自分は、その上で動いていた。
誰かが作った土台
サークルが存在しなければ、衣装担当という役割も生まれない。業者とのつながりがなければ、形にもならない。全部が誰かの用意した環境の上にあった。
これは、たぶんどのサークルでも同じだ。テニスサークルも、アカペラも、文学サークルも。活動の枠は、先に誰かが作っている。
その中で工夫することは、立派なことだ。ただ、それを「自分で何かを作った」と混同すると、あとで足りないものに気づく。自分がそうだった。
枠の中で動いていた
枠の中で動くこと自体は、悪くない。むしろ、組織の中では必要な力だ。決められた役割を全うする人は、どこでも重宝される。
ただ、枠の外に出たときに、その力だけでは足りない。何をやるか決まっていない場面で、自分で目的を立てる必要が出てくる。
就職すると、この場面が増える。指示を待っていても、仕事は生まれない。自分で課題を見つけて動く人が、少しずつ差をつけていく。
インターンで出会った学生
大学三年のころ、地方のまちづくり会社でインターンをしていた。そこには、いろいろな地域から学生が集まっていた。
その中の何人かは、話していて面白かった。自分にはない経験を持っていて、言葉に勢いがあった。何を聞いても、答えが具体的だった。
同じ大学生なのに、どこで差がついたのか。最初は分からなかった。話を聞くうちに、理由が見えてきた。
休学して地元を変えようとしていた人
愛知から来ていた学生は、地元のまちを何とかしたいという思いで参加していた。人口が減り、高齢化が進む。その状況を変えたいと言っていた。
彼は一年間大学を休学して、その会社で学んでいた。ノウハウを持ち帰りたい、と話していた。勢いだけでなく、段取りも考えていた。
それ以前にも、仲間とプロジェクトを立ち上げて、地元でイベントを開いていたそうだ。観光のプログラムも作ったと言っていた。
話を聞いて、素直に面白いと思った。自慢するでもなく、淡々と話すのが、余計に印象に残った。
面白さの正体
彼が面白かったのは、成功していたからではない。うまくいかなかったことのほうが多いと言っていた。それでも話が面白いのは、自分で始めたからだ。
ゼロから考えて動くと、失敗にも物語がつく。なぜ失敗したのか、次はどうするのか。その蓄積が、そのまま語れる話になる。
こちらは、与えられた枠の中でうまくやった話しかできない。悪い話ではないが、聞き手を惹きつける力は弱い。その差は、経験の質から来ていた。
自分に語れる話がない
三年間、楽しかった。それは嘘ではない。ただ、人に話して面白いエピソードが、ほとんどないことに気づいた。
飲み会の話、練習の話、本番の話。どれも悪くないが、どこかで聞いたような話だ。自分で始めた話ではないので、当然といえば当然だった。
このことに気づいたとき、少し落ち込んだ。時間がなかったわけではない。自由に使える時間は、山のようにあった。
大学生の時間は自由だった
大学生には、自由な時間がある。長期の休みも長く、平日の昼間も動ける。何をするかを、全部自分で決められる。
社会人になると、この自由は減る。平日の昼間に何かを始めるのは、簡単ではない。まとまった時間を取るのも難しくなる。
だから、大学生のうちに何かを始めるのは、理にかなっている。失敗しても、やり直せる。失うものが少ない時期だからだ。
始めるときに意識していたのは、次のようなことだった。
- 目的を一文で言えるようにする。
- 仲間は三人いれば始められる。
- 最初の一歩は小さくする。
- うまくいかなかった理由を記録する。
- 誰かの枠を借りている自覚を持つ。
- 続けることより、決めることを優先する。
始めるなら小さくていい
とはいえ、大きなことを始める必要はない。小さな企画でも、自分で立てれば主体性の練習になる。仲間を三人集めて、何かをやってみるだけでも違う。
| 項目 | 特徴 | 始め方 |
|---|---|---|
| サークル活動 | 枠が用意されている | 役割の中で工夫する |
| 衣装担当 | 自由度は高いが土台がある | 枠の外も見てみる |
| インターン | 仕事の全体が見える | 短期でも参加する |
| 自分の企画 | 目的から自分で決める | 小さく始める |
| 休学 | 時間をまとめて使える | 目的を決めてから |
| 失敗 | 学生のうちは安く済む | 記録を残す |
表にすると、違いがはっきりする。どれが上という話ではなく、経験の種類が違う。両方やればいい。
就活のためではない
主体性を身につけようと言うと、就活のためかと思われる。そうではない。面接で話すために、何かを始めるのは本末転倒だ。
自分がこだわるのは、単純に、自分で何かを作っている人が面白いからだ。その面白さは、損得を超えている。
結果として就活に役立つことはあるかもしれない。ただ、それを目的にすると、続かない。目的が外にあると、途中で折れる。
今からでも遅くない
後悔しているとは書いたが、終わったことだ。残りの大学生活で、何か始めればいい。実際、自分はそうしている。
大きなことはできないかもしれない。それでも、自分で決めて動く経験を、一つでも積みたい。そう思って動くと、日常の見え方が変わる。
サークルを続けるのもいい。ただ、その外側にも目を向けてほしい。枠の外に出たときに、自分の力が試される。
まとめ
サークルは、自主性を育てる場所だ。決められた役割の中で、自分から動く力を身につけられる。それはそれで、価値がある。
ただ、主体性は別のものだ。何をするかを自分で決め、失敗も含めて引き受ける。その経験が、人に話せる話になる。
大学生の時間は、思っているより短い。自由に使えるうちに、何か一つ始めてみるといい。小さくていい。始めた人だけが、あとで語れる。